〜鳥取和牛と歴史〜
鑪の様子
中国山地とその周辺では、古くから和牛の放牧が盛んに行われてきました。その理由は、浸食の進んだ老年期の山の地形が、なだらかな高原として放牧に適していたことがあげられます。
広島県境の山には牛の越境を防ぐ石塁が築かれ、
今も名残をとどめています。
また、花崗岩からなる中国山地は砂鉄が豊富に採れ、これを原料とする日本の伝統的製鉄法である鑪(たたら)製鉄が盛んに行われました。中でも山陰地方は真砂(まさ)と呼ばれる刃物生産に適した良質の砂鉄を産出したことから、今でも各地に多くの鑪跡が残っています。
鑪では、原料である砂鉄とほぼ同量の木炭を消費します。そのため、砂鉄に比べて量のかさばる炭は近くから運ぶ必要があったことから、鑪を設置する場所は、「砂鉄七里、炭三里」の位置が良いとされました。一つの鑪を年間維持する木炭を生産するのに九十ヘクタールもの山林が広範に伐採され、その跡地は火入れをして牛馬の放牧地に使われました。
牛の荷運び
鑪場では、原料の砂鉄や木炭など、いろいろな物資が牛馬により運搬されましたが、古い記録によると、牛は距離にもよりますが、一度に二十三貫(炭俵十五kg×六個)=九十kgの荷物を運搬したといわれています。
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